「立つ鳥後を濁さず」と「後は野となれ山となれ」
日々、誰かと関わりながら生きていると、別れの場面や、物事を手放す決断をしなければならないこともあります。
そんなときに、ふと思い出したいのが、「立つ鳥後を濁さず」と「後は野となれ山となれ」という、まったく違う印象のことわざです。
「立つ鳥後を濁さず」──終わり方には人柄が出る
この言葉は、「旅立つときには、あとをきれいにしてから去るのがよい」という意味です。
職場を辞めるとき、引っ越しをするとき、人間関係に一つの区切りをつけるとき。
少しの挨拶や感謝の言葉、整理整頓されたデスク、丁寧な引き継ぎ──。
それだけで、「あの人と関われてよかった」と、誰かの心にやさしい印象が残ります。
別れは寂しいものですが、「立ち去り方」には、その人の誠実さがにじみ出るものです。
だからこそ、きれいに締めくくる意識を持つことは、自分自身のためにもなるのです。
「後は野となれ山となれ」──手放すことで、楽になることもある
一方、「後は野となれ山となれ」は、「もうどうなってもいい。あとはなるようになれ」という、どこか投げやりな響きのある言葉です。
ですが、これは決して悪い意味だけではありません。
たとえば、完璧を求めすぎて心が疲れてしまったとき。
「できることはやった。あとは少し流れに任せてみよう」と考えるのも、自分を守る大切な術です。
私たちは、すべてをコントロールすることはできません。
だからこそ、「がんばりすぎない勇気」として、このことわざを思い出してもいいのです。
どちらの言葉も、生き方のヒントになる
「立つ鳥後を濁さず」は、他者への思いやりや、丁寧な生き方の象徴。
「後は野となれ山となれ」は、自分の心を守るための逃げ道でもあります。
大事なのは、「どちらが正しいか」ではなく、自分が今、どちらの言葉を必要としているかです。
丁寧に区切りをつけることで前に進める日もあれば、あえて手放すことで次の景色が見えてくる日もあります。
まとめ:言葉に寄り添いながら、やさしく生きていこう
人生には、立ち去る場面と、手放す勇気が必要な場面の両方があります。
そのときどきの自分に合った考え方を選びながら、無理なく進んでいきましょう。